ウクライナでの連日のニュース
心が痛みます
戦争のニュースを見るたびに、戦火の中、子育てをしていた祖母を思い出します
(祖母の話はこちらに↓
もし宜しかったら読んでいただけると嬉しいです)
はむぷたが小学6年の頃でした
黒い雨
昔のことはほとんど覚えていませんが、強く印象に残ったことのいくつかは覚えています
これはその一つ
当時、チェルノブイリの事故は、ニュースで大騒ぎになっていたのでしょう
それとも学校で言われたのかな?
事故の当日か、翌日なのか
その日は朝から雨でした
「黒い雨が降る」
「雨に触ると被曝する」
そんな話をどこから聞いたのか
登校中、そんな話が持ち上がり、みんな雨に触れないようにしてました
で、学校について
傘を閉じた後
どうしよう?
濡れた傘に触らないと、傘をまとめれない
(紐についたマジックテープ、もしくはボタンをくるっと回して留めれない)
そしたら幼馴染のHちゃんが「いいよいいよ」ってみんなの傘を留め始めたんです
Hちゃん
貧しいお家の子でした
風呂なしの2間のアパートに父母との3人暮らし
当時、そんな子は珍しくはなかったけど
風呂なし、一間、トイレ共同…なんてアパートもまだあった時代
長屋とかトタン屋根の家とか
だから、トイレと2部屋あるだけでもマシな方
Hちゃんの父親は平日は仕事先に下宿してて、週末だけ帰ってくる生活
母親は普段働きに出てたのかな?
遊びに行って、母親がいることは少なかった
多分、寂しい子だったんだと思う
何回か奢ってくれたの覚えてる
今思い返せば、Hちゃんも自己肯定感の低い子供だったんだろうな
“ありがとう”に飢えてたんだろうな
対価を支払って、やっと安心して人と付き合える
同じ自己肯定感低い人間でも、その表れ方、昇華の仕方は人それぞれ
私は自己肯定感低いくせに自尊心は高いという“ひねくれた”ヤツだったから、当時のHちゃんの行動が“気味悪く”感じた
そんな私だって、Hちゃんに傘を留めてもらったんだから、偉そうなこと言えないんだけど
健全な家庭
はむぷたの家は2階建ての1件屋
1階は工場で2階が自宅
お風呂もトイレもあって、社長兼、従業員は父1人の自営業
側から見たら勝ち組に入ってたのか?
でも豪邸ではないし、近所には社長とか庭付きの豪邸とかもあったから、貧富の差が激しい地域だったんだなぁ
けど、それが幸せにつながるわけではなく…
だからといって、Hちゃんが幸せだったように見えず
今思えば、近所に住む叔父さん(Hちゃん母の兄弟)に胸触られて笑ってて
当時は気が付かなかったけど、性被害、だよね。その話聞いて気持ち悪かったし、私も触られたの覚えてる
中学になって転校して、その後も会ったりしたけど、貞操観念歪んでて、sex依存…だったんだなぁ…
はむぷたも似たようなことあったから、彼女の気持ち分からなくもない
健全な家庭って多数派だけど、昔の私の周りには不健全な家庭で育った子ばかり集まってたな
みんなが皆んな、幸せな幼少期を過ごせたら、幸せになれるのかな
戦争が早く終わりますように