AC はむぷた日記

機能不全家族サバイバー はむぷたが大人になって思う事

母の薬

沢山の薬

私が小学生になった頃から、母は1日でものすごい量の薬を飲んでいました

1日3食、食前食後。それぞれ飲む薬が違っていて、病院から帰ってきた時は大量の薬を、朝昼晩、食前食後と全部分けてたなぁ

いったい何種類くらい飲んでいたのだろう?

子供の感覚では30個くらいを、一度の食事で飲んでいたように感じていたけど…

薬のせいで眠いのだと、母は気がつけば昼寝をしていました。時には壁にもたれて。時には布団の上で。

学校から帰ると、母はだいたいいびきをかいて寝ていて「今起きようと思っていた」と、バツが悪そうに起き上がっていたっけ

料理は普通だったと思うけど、よく焦がしたりしていて、とにかく出来上がるまでに時間がかかっていた。

当時は子供だったから気にならなかったけど、炒め物や揚げ物は冷めてたんだろうなぁ…

6時に夜ご飯だと、3時過ぎから台所に立つ感じ

お風呂は、溜めているのを忘れて溢れさせたり、沸かし過ぎで熱くて入れなかったり

(昔はお風呂に水を入れ、溜めてから給湯器で沸かす形式でした)

それを父はよく怒り、馬鹿にしていた。なので母は水が貯まるまで、風呂場でじーっと見ていました。20分?さすがに30分って事はないと思うけど、昔の四角い深い浴槽だから、そのくらいかかってたのかな?ただただ、水が貯まるのをじーっと見てるんです。あの姿は、何だか人外の生物のようでした。

母は全て「お母さん病気だから」と病気のせいにしていました

色々知らないのも、人と上手く関われないことも、大事なことを忘れるのも、簡単なことを失敗するのも『全部病気だから』

それを聞かされるのは、とても嫌でした

事情を教えてもらえなかったら、言い訳にしか聞こえないよ。

ただ“病気”と言うだけで、病名も症状も全く教えてもらえなかった私。子供に言う必要などないと、周りの大人たちは思っていたのでしょう

ちゃんと教えてもらえてたら、例え子供でも何となくわかったと思うんだけどな

“普通”ではない

子供心に、私の母はよその家と違うと感じていました

そもそも、よそのお母さんなんてあまり知らなかったのだけど。

それでも、なんていうか“人”として普通でないなぁと感じていた

母は“私は心の綺麗な人間だ”とよく私に言っていた。けど、母の口から出るのはご近所の悪口と祖母(父方)の悪口ばかり

子供や夫には美味しいものを食べさせるのが母親だと言いながら、見せつけのように自分は目刺しをよく食べていた。けど、こっそりアイスとか果物を食べていたなぁ。

洋服も原色のピンクを好んできていて、いつもどこを見てるかようわからない、貼り付けたような笑顔を浮かべていた

いろんなことが矛盾してて、子供の私には本当に薄気味悪く感じられていた

そんな母親でも、、私は愛されたかったんだけど、母の関心は私には無くてさ…

まぁ、病気だったのだから、仕方なかったと今は思えるんだけどね

そんな訳で、誰も本当のことは教えてくれなかったし、誰かに聞くことも出来なかった

母の病気は親類全体でのタブーだった。

…まぁ、母の病気の一因は父方の祖母であったし、そりゃ子供にはいえないよね

近所で母が噂されていたのに気づいていたけど、大人たちは子供に聞かせてはくれなかったし

それが余計、私にとって母が薄気味悪く感じる一因でもあったのだろう

余談

そんな母を見て育ったので、私は自分の限界を超えて壊れてしまっても、なかなか薬を飲むことができませんでした。

私にとって、薬=母と同じものになる、でした

今は、少しでも辛いとすぐ薬に頼ります

おかげで少しだけ、楽に生きていけるようになりました