美しさの違い
私は幼い頃から美しいものが好きでした
これは遺伝なのか、生活環境からなのか、メスとしての本能なのか
母も祖母も美しいものが好きでした
ただ、2人の「美しい」は全く違いました
母は華やかで煌びやかなものが好きでした。
祖母は繊細で嫋やかなものが好きでした
例えて言うなら、母は大輪のバラやカサブランカ。祖母は小さくて可憐な山野草。
私はどちらも美しいと感じるけれど、2人はそうではありませんでした
母
母は海と山に挟まれた田舎の漁村で育ちました。
地元の名士で大きな家に住み、屋根裏には甲冑や刀がゴロゴロしていたそうです
地主の娘でしたが田舎なので、山羊のミルクを絞って飲み、屋根の上にのぼって、野鳥の卵を取って食べる…なんていう野生児だったといいます
よくいえば大らか、悪くいえば粗野。戦争の影響も受けず、食べ物にも着るものにも困らず、のびのび育ったそうです
そんな環境で育ったためか、そばかすだらけの浅黒い肌を恥じていました。化粧で白い肌に見せ、華やかな洋服とアクセサリーに身を包むのが好きでした。そして高いものが好きで贅沢が大好きでした。節約なんて考えたことなかったと思います
(ただ“値段が高い”というものが好きなだけで、“物の価値”に対しては興味のない人でした)
父方の祖母
祖母は気位の高い人でした。庄屋の娘で、百貨店に卸す着物を縫って生計を立てていました。中流意識の強い人で、長屋に住んでましたが、広い家で、茶室と小さな庭がありました
とはいえ、戦争中に出産し、幼児を育て、戦後は食べ物も着る物も手に入れるのが大変な中で生きていた人です。なので倹約家で働き者でした。
お茶お花の師範としても働き、歌を詠み、水彩画を描き、所作の美しさを尊ぶ人でした。新しいことにもチャレンジする、好奇心の強い人でした
価値観の押し付け合い
母も祖母も、他者の価値観を理解しようとしない人でした
無邪気な母は、父に高価なものを買ってもらうと、誰かに見せたがる人でした。当然、父の実家にも身につけていく。
倹約家で派手なものを好まない祖母の目には、さぞ無駄遣いにしか見えなかったでしょう
そして節約を美徳とし、繊細さを好む祖母の姿は、母の目には地味でケチにしか見えなかったでしょう
つまり、祖母は母を妬んでいる…と。自分が羨ましいのだと。
母は祖母に逆らえなかったので、愚痴や悪口を実母(私からいう母方の祖母)と娘である私に垂れ流しました
祖母は礼儀作法を教えているつもりだったのでしょう。母はガサツな人で、礼儀作法を“お高く止まっててイヤミな事”と感じていました。私が箸の持ち方を教わったのは、親ではなく祖母からです
祖母は実の子供たちにも厳しい人でした
なので私の目から見て、祖母は特別母だけに厳しくしているようには見えませんでした
言い方はキツく、厳しく、目つきも鋭かったので、怖い人ではありましたが
けど母は虐められていると受け取りました
ひょっとしたら、私の知らないところで何かあったのかもしれませんが
私は子供だったし、全てを見ていたわけではありません
けど、子供心に母は悲劇の主人公になって、浸っているように見えました
他者を尊重する
たったそれだけのことなのに
けど、お互いを尊重するのは、昭和の嫁姑には(当時の常識的にも)今の時代より難しかった事なのかもしれません
『嫁が嫁姑に従うのが当たり前』この価値観は、祖父母だけでなく、母も当たり前として受け入れていました。
母はよく
「今に見ておれ」
と、言っていました
「寝たきりになったら私の天下だ」
と
あれだけ祖母の悪口を言いながらも、祖母のシモの世話をする気でいた母。母の中で“姑の面倒を見るのは嫁として当たり前”だったから、“世話をしない”選択肢があり得るなんて思わなかった。
そして、母にとって老後の世話は“祖母より自分が上の立場になる”ということだった。
決して“いじめ返してやろう”という意味ではないと分かっています。ただ、母は祖母を見下したかっただけ。
母のこの考え方は、やはりどうしようもなく、私には薄気味悪く感じるのです