AC はむぷた日記

機能不全家族サバイバー はむぷたが大人になって思う事

金○先生

記憶は改竄されるもの

人によって過去は変わる

だから、私が覚えている過去は正確ではない

それを分かった上での描写です

 

なんでこうなったのか

私は全くわかりませんでした

とにかく、父親に学校へ行くと告げられて

父と母との3人で学校へと行きました

多分、車だったと思います

 

NOと言えない原家族でした

それまで私は、拒絶したことはなかったんだと思います

だけら、はじめての拒絶

NOが許されないと知ってての始めての拒絶

全身での一切譲らないとの意思表示が、あの父にすら伝わったんでしょう

父親からすると、私は実力行使に出ると思ったのでしょう

決して、私の事を考えての「学校訪問」ではなかったんです

幼くとも、反抗期でも、そのくらいのことは伝わります

 

初めから、誰も私の気持ちに寄り添ってくれる人なんかいなかった

そこに集まった人たちは“学校に行く前提”だった

要は“学校に行きたくない”私を説得するための場

先生方は“誠意”を、見せてくれたんだと思います

うろ覚えだけど、私が学校へ通えるように全力でサポートします的な姿勢を示してくれたのを記憶しています

 

もちろん、その想いを否定はしません

本気でなんとかしようと思ってくれてたんだと思います

 

いじめの初期なら良かったんでしょう

けど、私が置かれた状況は末期で、卒業までのカウントダウンをするしか無いとこまで来てたんです

 

だから、まぁ、そこまで私も頑張ったんです

打ち解けるよう、恥も外聞も捨てて、がむしゃらに頑張ったんです

目一杯考えて、私なりに努力したんです

考えられる方法と、なけなしの勇気を振り絞って話しかけたりしたんです

 

先生たちの努力でどうにかなる時期は、とうの昔に過ぎてたんです

あからさまないじめがなくなるだけで、陰口とか、無視とか、仲間はずれとか、無くなるわけないんです

1からの友人関係が築ける時期は過ぎてました

だから、絶望したんです

 

入学式から数ヶ月たってたら、すでに女子グループは出来上がってるんです

今更誰がいじめられっ子の私をグループに入れようと思うのだろう?

そんなババ、誰も引きたくない

そのくらい、私だって分かってる

そう、分かってしまったから、もう無理だと思って、勇気を出して学校に行きたくないと言ったのに…

 

帰りの車の中で母はひたすら

「いい先生ばかりだった」「感動したわぁ」「とても親身になってくれたし頑張ってくれる」「まるで金○先生だわ」

饒舌に、陶酔しているようなうわ言を言い続けていました