AC はむぷた日記

機能不全家族サバイバー はむぷたが大人になって思う事

コミュ力は経験値だったんだなぁ ~前編~

社会性は学んで身につくという事

社会性は遺伝要因より環境要因の比重の方が大きいんだと、どこかで聞いた事があります

(念のための注釈ですが、一個人のうろ覚えで綴ってますので、正確さはご容赦ください)

つまり、環境から学んで獲得していく部分が大きいって訳で。

(多分これは定型発達の子供の場合であり、非定型発達の子供では、また違ってくると思ってます。と言っても、非定型発達の子も、積極的に働きかければ社会性をより獲得できるとも思ってます。そして、あくまでも私個人の、現時点での主観です)

…この話を書くのって難しいですね(ー ー;)

書き始めて数行で、注釈の方が多くなってしまいました(ー ー;)

しかも“思ってます”連続(ー ー;)

なので先に全部書いちゃいます

今日書こうとしている事は、あくまでも、専門知識のない1個人が、少ない知識と経験則からくる思いです

一般論とか、普遍性とか、常識とか、学術的な話とか、そんな事を書きたいんではないんです。

当たり前ですが、私の気持ち、思いは私だけのもので、私の考えは、私の主観でしかありません。

いろんな考えがあっていいと思ってます

ただ、押し付けてはいけないと思います

なので、不愉快だな、嫌だな、腹立つなって、少しでも感じる方は、読まないでいただけたらと思います。

せっかく読んでいただけてるのに、こんな前書きで、ごめんなさいです(・・;)

主題から外れたくないので、言葉足らずな部分や、知識不足でトンチンカンなことをきっと書いてしまってます。

ただ、私は自分の過去を、改めて客観的に見つめ直す場として、この場を使わせいていただいてます。

オープンにする事で、他者を意識しながら自分を振り返る作業をさせていただいてます。

そして、たった1人でもいいから、誰かの生きる、ささやかな糧になれたらいいなぁ、なんて思ってます

 

言い訳ばっかでごめんなさい(ー ー;)

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改めて、幼少期の社会経験について思う事

さて、過去を振り返らせていただきます f^_^;

私は親が親族以外の他者と、友好な関係を築いている姿、つまり、仲良くおしゃべりしたり、遊んだりしている姿を見た事がないまま育ちました

そして親族でも、父の実家では、皆が皆、腹の探り合い、マウントの取り合い、空気を読んで何を話すべきか…そんな空気を感じていました

まぁ、嫁は母1人で、私はその娘だったので、そう感じただけかもしれません。

(父の実家での親族の様子、主に正月のことについては、長くなってしまうので、別の時に書きたいと思います)

母の実家では、変な関係性は感じませんでしたが、まぁ、親族ですからね(・・;)

 

私は高校生になって、初めて“友達”と断言できる子が出来ました。

そんな私に父は

「気をつけなあかんぞ」

と言いました

(事情のある子だったけど、父は知りませんでした。なので、父的にごく一般的な“友達”です)

“友達”は信用すべきではない

つまり、父はそういう価値観の人だったんです

仕事仲間はいても、友達はいませんでした

当然、“旧友”なんてのもいない父でした

 

母は、今であれば手帳をいただけた、脳機能に偏りがあり、問題を抱えた人だったと思っています。社会性のとても低い人でした。

エキセントリックな母ではありましたが、友達はいました。それは“旧友”で、母の個性的な部分を分かった上で、交友関係を続けてくれる、とても良い方でした。

(余談ですが、母が急死した時、父は母の友人には知らせず、喪中葉書でその事を知った友人は泣きながら怒ってくれました)

ただ、父は前述した考えかたで、他人を家にあげる事を極度に嫌がる人でした。母は友人を家に呼ぶ事はできず、必然的に、私は楽しく母が友人と話す姿を知らないで育ちました

 

ご近所さん

母のエキセントリックで奇異な感じと、父の周りに壁を作る性格。近所では浮いていたと思います。

とは言っても“町内”“ご近所”という意識が根強い時代。それなりの交流はありました。

けどそれは、一緒にご飯行ったり、お出かけすると言った“お友達関係”ではありません。

おしゃべりはしても“噂話”や“陰口”。母は口が軽く、悪意はないって認知はされてたけれど、困った所のある人と、距離を置かれていたように感じます

 

近所の子供たち

そんな訳で、私は人付き合いを見て学ぶことも、教えてもらうこともないまま成長していきます。

そして、1人で過ごすのが苦痛ではなく、ボッチに気づく事もなかったので、友達に揉まれる経験もありませんでした。

子供の多い時代だったので、近所に年の近い子供はいて、一緒に遊んだ経験はあります。

幼馴染が2人いました。

Tちゃんは自己主張が強いお姫様タイプ。

Rちゃんはとても貧しいお家で、全く自己主張しないタイプ。

…そういけば、何故だろう?幼馴染のご近所なのに、私、この2人と遊んだ記憶、ほぼ無いや。

 

それよりも、同じくご近所にいた、3人兄弟(多分、私より2〜3歳上の女の子、1〜2歳上の男の子、1〜2下歳の女の子)と、2人姉妹(2〜3歳下の女の子と4〜5歳下の女の子)とばかり遊んでた

そっかぁ、私、同い年の子と遊ぶ経験少なかったんだなぁ

幼稚園でも、多分1人で過ごしてたように思う

(やはり、こうやってブログ書かせていただいて良かった。丁寧に過去を振り返っていくと、新たな気付きが出てきます)

だからですね。だから、揉め事はなかったですね。

年齢差があれば、子供だって必然的に、譲る側、引っ張る側、まとめ役、従う立場、そんな立ち位置が自然に決まる。

同い年はそれが無いから難しい。

幼馴染とは積極的に遊ぶ間柄ではなかったのは、接し方、振る舞い方がわからなかったんですね、きっと。

 

そうだよなぁ。同い年なんだから、幼少期はもっと一緒に遊んだりしそうなものなのに、それがあまり無かったんだよなぁ

気が合わなかったのと、疲れたのと

まだRちゃんとは一緒に遊んだ記憶はあるけど、Tちゃんとはホントにレアだったなぁ

親同士、仲が良くなかったのもあるのかな?

ただ単に、ホントに気が合わなかったのもあるか。

私も我の強い子供だったし。

Tちゃんと遊んでて、楽しいって思ったこと無いかも(ー ー;)

特に、小学生になってからは虐められたから、TちゃんもRちゃんも、私とは関わらないようにしてたなぁ、私も話しかけたらいけないって思ってたし。

 

そういえば、私の長男が小学生の頃かな?

「同い年の子と遊ぶよりも年上、年下と遊ぶ方が楽」

って言ってたわ。

同い年って、一緒にいるメンバーによって立ち位置変わるもんね

私もきっとそうだったんだろうな

 

長くなりました。

続きはまた明日にしようと思います

お付き合いいただけたら嬉しいです