お彼岸
昨日、行ってきました
お花買って、お供えに和菓子。線香とロウソクとライターとバケツに雑巾
父が亡くなって、行くのは私の今の家族だけになりました。
(墓を相続したのは弟ですが)
思春期真っ只中の長男も、ついて来てくれました
こういうトコロ、本当可愛い(親バカ)
私も夫も、墓はあってもなくても、どっちでも良いと思ってます
そしたら長男も同じ考えでした
長女は「お供えして欲しいからお墓いる」
そして「ホールケーキをお供えにリクエストする」
あの世に行っても、お供えはしっかり食べに戻ってくるようです(*゚▽゚*)
自分は、散骨とか永代供養で構わないと思ってます。お墓を守っていくのは大変ですから。
ただ、せっかくお墓があるなら、お参りは続けていきたいと思っています
実は義両親もお墓は必要ないという考え方で、義父は次男でお墓はないので、必然的に私はお墓には入らないのでしょう
お参り
お盆は必ず行くようになりました。彼岸は行ける時には行くようにしてます。ほぼ、行ってるかな?
宗派的には、お盆より彼岸の方が大事らしいですが。
結婚して、1年も経たないうちに母が亡くなり、それからずっと
18年経つのかな?
父が生きてた頃は、父と一緒に行ったこともありました
父と関係が悪くなってからは、墓に供えられてる花を見て、父も来てるんだと知りました。
関係は悪くても、必ず盆正月は、実家に顔を出していました。
悪く言われているのは知ってたけれど、ここで行かなくなったら、いずれは後悔すると感じていたから
実際、父が亡くなったいま、あの時頑張って顔を出していて良かったと思います
この辺りの出来事は、また後日書けたらいいな
なぜ行き続けるのだろう?
弟は墓参りには行きません
弟は“生きてる時”を重視する人です。
“死んでから何をしても遅い”
本当にね
私は私のために墓参りに行くのです
祖父母と墓
祖父の生家と祖母の生家にも墓はありました。どちらも遠方で、父の生前は祖父母を連れて行ってたっけ。
祖父は長男ではなかったし、戦争で生き残った兄がいたので、墓は継ぎませんでした
祖母の弟2人は戦地で亡くなったので、祖母が墓守をしていました
生家の墓参りは、祖父も祖母も亡くなった親兄弟を偲んでの行為。特に祖母はギリギリまで墓を畳もうとはしませんでした。
祖母が亡くなれば、遠方の墓を守る人がいなくなるので、95歳を過ぎた頃かな?ようやく畳む決心をしてました。
私の実家の墓
それとは別の、祖父の養父母=祖母の舅姑の墓が、私が幼い頃から墓参りしているお墓になります。祖父が引き継ぎ、父が引き継ぎ、弟が引き継いだ墓です
良い関係でなかったのになぜ私は墓参りに行ってしまうのだろう?
死んだら皆んな仏様
そんな風に思えるほど、私は聖人君子ではありません
今でも『墓石を蹴倒してやりたい』と、思ってる部分あります
今は随分昇華されたけど
何でしょうね?舅姑に酷い目に遭わされていたらしい祖母も、こんな気持ち抱いたりしたのかな?
昔の人だから『常識』で、やっていたんだろうな。どんな嫌なやつでも、死ねば“ご先祖様”
確かにそうだけど、私は敬う気持ちにはなれない
(祖母と祖母の舅姑との関係は↓に記させていただいてます)
墓に入る
そう、墓に刻まれた人たちがいなければ、今の私はいない
“あんな親でなかったら…”
何度そう願っただろう
けど、あの親からしか、私は産まれ得なかった。私という存在は、あの親の遺伝子の組み合わせ以外では存在し得ない。
どんな嫌な親でも、死んだら“ご先祖様”
うまく言ったものだよなぁ
だから私は、花を供え、線香を焚き、般若心経を読むのかな?
改めて両親の死を考える
母があのタイミングで亡くなっ事は、私にとって良かったんです。母が生きていたら、私は経験しなくて良い、新たな苦しみを味わっていたと思います。
父があのタイミングで亡くなって良かったんです。色々面倒な事が大方片付いた時でした。
そして、2人とも突然死だったので、揉める事を覚悟してた介護問題に向き合う必要が消えたんです
不謹慎だと思われると思いますが
母も父も、コロッと逝ってくれた事、それだけは本当感謝してるよ