捨てられない
だから、リユースが当たり前になった今の時代はありがたい
不要だけれどまだ使える、という物を捨てるのが本当に苦手
いつか使うんじゃないかと、大事にしまい込んで、結局何年、何十年
なのでメル○リに出して、底値で売れなければ、つまりゴミって事
一つの基準になってる
それでも処分できないモノたちもあって
幸い、私と長女ちゃんはファッションに関する好みが近い
そして、顔立ちと肌色も近いので、昔着ていた服やアクセサリーを喜んでつけてくれる
また、それが良く似合うんだよね
「捨てなくてよかった」というよりは
「喜んで使ってもらえて嬉しい」
だから、執着というよりは“愛着”なのかも
母の持ち物もそう
父の遺品もそう
“売れるから”“勿体無いから”よりは、“誰かに使ってほしい”
そうする事で、なぜか自分が救われる気がする
私に関心のなかった両親
だから、必要以上にモノに意味を持たせてしまう
母が残した着物たち
全部母のサイズ
だから、微妙に丈が合わないのだけど、着物なので何とか誤魔化して、記念撮影で着用している
写真に残しておくために
ありもしなかった愛情を、与えられた気になれるのかもしれない
母の持ち物を身につける事で“愛情がなかったわけではなかったんだ”って思いたいだけなんだろうな
まぁ、そうする事で自分が癒やされるのだから、悪いことではないのだろう
ひょっとしたら、これは搾取なのかもなぁ
幼い頃与えられるはずだったモノを、今、無理やり受け取るっていう形にしている
色々考えても、結局手放せるわけではない
まだ
ね
少しずつ、処分は進んでいる
これは写真に撮ったからいらないや
これはサイズが合わないから
これは好みじゃないから
少しずつ、捨てたり売れたり
一度にケリをつけるなんて、私には無理
少しずつ時間をかけてゆっくり…ね。
そうは言いながら、まだまだ物に囲まれているので、早くスッキリしたいなあ
矛盾してますね😅