ボッチ
この頃だと思います
(小3の頃です。基本、時系列で書いてます。お付き合いいただけたら、嬉しいです)
ふと、自分が孤立していることに気づいてしまった
低学年までは、ただ男子にいじめられていただけで、特にボッチを意識したことはなかったんです。女子とは普通に話してたはずなんです。
でも、小3に上がった頃(多分)、気がついたら、それまで誰とも喋れてたのが、誰とも喋れなくなってたんです
“自我の芽生え”ってやつですかね?
もともと、1人でも平気なタイプだったのが災いしてしまった
そもそも1人であることに気づいてなかったのが、気づいただけかもしれない。
それは周りの女子も同じで、1人になりたくないから、危険を排除するようになっただけかもしれない。
それが、小3になってから訪れた試練
いじめられ、バイキン扱いされ、誰も止めてはくれず、自分はいない方がいいのだと、いじめられてもいい人間なのだと、だから誰も庇ってくれないのだと…そう、気づいてしまった
(ただ単に、巻き込まれたくないから、傍観せずにいられなかったなんて、当時の私にはわからなかった)
また悪いことに、わたしは憐れみをかけられたり、仕方なく付き合われるのは、耐えられない子供だったんです
だから、優等生グループが手を差し伸してくれたのに、叩き返した
叩き返してしまった
救いの手だったのに
当時の私は
“お情けなんていらない”
“1人だって平気だし”
と、本気で思っていたんです
バカだよね、寂しがりのくせに
そう、意固地で変なプライドを持たなければ、その後の学校生活は違っていたかもしれないのに
(この時の私の気持ちはここに書かせていただいてます↓)
罪悪感?か?
なぜでしょうね?
私はこの頃のことが一番印象に残ってます
家がゴタついてたからなのかな?
幼少期から、本当は人一倍、人恋しい人でした
(今でもそうです)
けど、わたしは甘えることが許されない環境でした。
後日談になりますが…
この時に声をかけてくれた優等生3人組のリーダー
(本人は学級委員ではあったけど、リーダーなんて思ってなかったと思います)
のお母さんは、この頃?病気で亡くなっていたんです。彼女自身、大変な幼少期を過ごしていたんです。
それを知ったのは、小6?のときで、それは『親への感謝』的な作文を読み上げる授業で。
彼女は泣きながら、亡くなったお母さんへの想いと感謝、生きていてほしかったことを読み上げていました
(不謹慎ながらも、私は
「親が死ぬって、そんなに泣きながら話す事なの?そんなに悲しい事なの?」
と、本気で不思議に思い、よく分からないモヤモヤした気持ちになりました)
そう。だから。
彼女は先生に頼まれて、責任感と良かれと思って、勇気を出して、私に声をかけてくれた、本当に優しい子だったんです。
小3〜小4の時期の女子3人が、デブでひねくれたいじめられっ子を仲間に入れようと声をかけるって、いくら先生に頼まれたとは言え、出来ることじゃない。多少、イヤイヤの、仕方なくって気持ちがあったにしても。
それが、大人になった自分にはよく分かる。
なのに、私は拒絶してしまった。
私と同じ、子供だった彼女の気持ちを、私は勝手に邪推して。意地悪く勘繰って。
で、後日、彼女は彼女で色々大変な渦中にあったのだと気づいてしまう。なんの悩みもない、勉強のできる、優しく、可愛い、人気者の、そんな羨ましいお幸せな子だったんじゃないって、知ってしまう
けど、社会性や共感力の育っていない小6の私には、なぜ後ろめたい気持ちになるのか分からなかった。
ただ、分かりやすい「親が死んで、なんで悲しいんだろう?」と言う部分に焦点を当てていた。
それは、わかってしまったから、物凄い後悔と罪悪感に襲われるから。だから、分かりたくなかったんだよね。
大人になった今、本当にごめんねって思います