キラキラ
記憶のないくらい幼い頃から、母の宝石を見るのが好きだった。中でも一番好きなのがサファイアの指輪。群青色の青が神秘的で、光に透かすとキラキラと輝いて…。私の一番好きな色が群青色になったきっかけ
母にねだって宝石達を見せてもらっていたっけ。母はとても自慢げだった
当時は戦後バブル。職人だった父の仕事は儲かっていた。父は年1くらいのペースで母に高価なジュエリーをプレゼントしていた。
今思えば、それは贖罪。愛情ではない。母の病気は父と父方の祖母のせい。
子供時代の私はそんなこと知らなかったけれど。
話がそれました(^_^;)
自慢
素敵な宝石達を母は見せびらかしたかった。
「凄いね」って言われたい人だった。けど、やっかまれ、妬まれ、陰口を叩かれるだけだった。
父の実家にもつけていくから「また、そんな高いのを買わせて…」と祖母や叔母に嫌味を言われていたらしい。見せびらかしてるのだから当然だと思うんだけど、母は「いじめられた」と感じる人だった。マウントは取りたいけど、嫌味は言われたくない。自慢したい、羨ましがられたい人だった
母は私に見せる時「つけて行くと怒られるんだよ」と、さも理不尽そうに言っていたっけ
幼心に黒い感情を母から感じたけれど、宝石達の美しさは別物だった。
公言できる初めての夢
幼稚園の頃、初めて思いついた将来の夢は“ダイヤモンド屋さん”だった
当時、父母や祖父母に聞かれて「お姫様」と答えると喜ばれた。けど、子供心にそれを描くのはアウトだと知っていたから、一所懸命考えた末に出した答えだった
沢山の宝石を売っている自分の絵、その横に説明文。
「私は大きくなったらダイヤモンド屋さんになって、綺麗なダイヤモンドを売りたいです」
そんな感じだったろうか?自分でもなかなか上手にできたと思った。
返ってきた絵の説明文には、赤で“宝石”と書き直されていた。ジュエリーとか宝石という言葉を、その時知った。知らない自分が、恥ずかしくて悲しかった。母に見せれないと感じた。
父も母も世間知らずで学のない人だった。幼稚園生だった私は、その時にはすでに両方の祖母に「あなたがしっかりしなさい」と言われるようになっていた。赤で訂正された一文は、そんな親に馬鹿にされ、両方の祖母に呆れられる象徴のように感じられた