AC はむぷた日記

機能不全家族サバイバー はむぷたが大人になって思う事

全ての始まり

1回目 夜中の工場(自宅の1階)

多分私が年中か、年長の頃だったと思います。

母が発作を起こし、救急車で運ばれて行きました。

それは夜中で、私も弟も母も父も工場にいました。

(家は1階が工場(コウバ)、2階が自宅。家族操業の自営業でした。)

母は痙攣を起こし、口から泡を吹いていました

父は母の口にタオルを押し込んでいました。

そして大声で何か喚いていました

私は

「お母さん死んじゃう、お母さん死んじゃう」

と泣いてました

弟はただただ泣いていました

そこから先はよく覚えてません。

 

翌日

朝、伯母(父方)が来ました。

私と弟は自宅にいたようです(想像)

その日から、母方の祖母と父方の祖父母が入れ替わり我が家に来るようになりました

(母方の祖父は母が小さい頃に亡くなっており、いませんでした)

私と2つ下の弟のお世話をしてくれました。

半年?1年?よく覚えてません

なぜ母がいないのか。母はどうなってしまったのか。

誰も教えてくれませんでした。

私も多分聞きませんでした。

聞けなかったのだと思います。

母のいない生活が始まりました

どのくらい続き、いつ退院して戻って来たのか、記憶にありません

 

2回目 就寝中

また母は発作を起こしました

多分私が小1か小2だったと思います

寝てる時に父の声で目が覚めました

父は慌てて救急車を呼んでいました

父は母に怒っているように、迷惑がっているように感じました

参った、なんでまた、どうしたらええんじゃ…

そんなことを言っていたように思います

そして「サイレンは消してくれ」と電話口で言ってたのをはっきり覚えています

弟は私の隣で寝ていました

私は必死に寝たふりをしていました

なぜか、私は起きていることがバレてはいけないと思い、寝たふりを続けました

救急車がやって来て、母は運ばれていきました

私は弟の隣の布団で、ずっと寝たふりを続けていました

 

翌朝

お隣さんが来ました。うちで一緒にご飯食べようと言いました

お隣さんは「びっくりしたでしょ。夜お母さんがね…」と、説明を始めました

私は、つい「知ってる」と言いかけて、ハッとして、ゴニョゴニョと言い訳をしながら、知らないふりをしました。

こうして思い返すと、小学生低学年の自分と、幼稚園の弟2人で朝を迎えたんだよなぁ…

普通だったら怖がって泣きじゃくってるはずだよね?けど、普通に起きてたのを覚えてる。

まぁ、目が覚めてたのに寝たふりをする時点で、子供らしくないよね。

もうこの頃から、私は感情が麻痺してたのかもしれないなぁ。

お隣さんの家は社長さんでお金持ちでした。(今でもお金持ち)

三角のコーヒー牛乳を初めて見ました。無理して飲んだのかな?美味しくなかったのを覚えています。ヤクルト?もあったので、それは弟が飲んだのかもしれません

ウチとは違い洋食で、豪華な朝ごはんでした

年上の女の子2人がいて、一緒にランドセル背負って分団に向かいました。

弟は幼稚園だったのでお隣さん家にそのままいました。

 

また消えた母

やはり、母方の祖母と父方の祖父母が、入れ替わり来るようになりました

やはり、誰からも説明はありませんでした

やはり、私も聞かなかったのでしょう

ただ、何となく、死んだのではないとは感じてました。

 

初めての病院

一度だけ、弟と父の軽トラに乗せられて、母の病院へ行ったことがありました

父は「まだ会わせられないから」

と、よくわからないことを言って、車を降りて行きました

私は弟と駐車場に止められた軽トラの荷台で(昭和ですね。荷台に乗せられて病院に連れられて行ったようです)父の帰りを待ちました

その時初めて、母は病院にいるのだと知りました

 

母方の祖母

隣の県に住んでいて、電車を乗り継いで3時間くらいかけて来てくれていました

地元の名士で地主で。面倒見がいい反面、人の柔らかい部分にも土足で立ち入る人でした

大きな声で思ったことをズケズケ言い、常に自分が正しい人でした

母の病気は父方の祖母のせいだと、来るたびに父に言ってました

実際、母は姑と義姉にいじめられいると、嫁いでからずっと祖母に言っていたようです

父は苦い顔で小さくなってました

 

父方の祖母

気位が高く、質素、倹約を美徳とする人でした。

お茶お花の師範で、和裁も仕事でやってました

行儀作法にうるさく、自分にも人にも厳しい人でした

できる人だったので、できない人の気持ちがわからない人でした

この祖母だけが、私と弟の勉強を見てくれました

箸の持ち方を教えてくれて、公園にも連れてってくれました

厳しかったけど、責任感の強い、凛とした人でした

 

父方の祖父

物静かで物作りが上手な人でした

人としてどうだったかは記憶にないです

観賞用の大輪菊をコンクールに出し、様々な植物を育て、長唄を歌い、一人旅をし、祖母と同じで多趣味な人でした

「そうか」しか言わない祖父でした

 

母の退院(2回目)

ある日突然母が現れました

もこもこの真っ赤なセーターを着て、大きなおもちゃの箱を2つ隣に置いて、ストーブの前に正座してました

パーマをかけた髪。薄っぺらい、ロボットみたいな、わざとらしい笑顔。

祖父母と伯母もいました。もちろん父も

私と弟は隣の和室にとじこもってました。

私は襖の模様を指でめくって、泣きながらその紙を食べてました

「あれはお母さんじゃない」

呟きながら泣いてました

何故だか弟も、私の隣で泣いてました

隣の部屋から「恥ずかしがってるのよ」と聞こえました

そうじゃない。あれは本当に私の知ってる母じゃない

その時の私の目には、母は、母の皮を被った宇宙人に見えていました

 

今思うこと

大昔の記憶なので、事実と違うかもしれません

私の主観の記憶です

弟は私とは違う記憶を持っているかもしれません

母の退院して来た日ははっきり覚えているのに、その後のことは全く記憶にありません

ということは単に、当時の私の記憶にある母と違いすぎて、びっくりしただけなのでしょう

(目一杯オシャレしていました。子供の目には、よそ行きの派手な服を着た、美容院帰りの母が、宇宙人に見えただけ…ということかもしれません)

ただ、ここに書かせていただいたことは、その後の私の人生の中に、強い影響を与えました