道路標識
幼稚園バスが来ると、いつも私は道路標識にしがみついて泣いていました
母がいなくなる前なのか後なのか…
記憶は定かではないけれど、必死にしがみついていたのをよく覚えています
「まぁだ泣いとんのか。こんなに大きくなったのに」
そう言われた翌日、ぴたっと泣かなくなったと母から聞かされました
分離不安より恥ずかしさが勝ったのか。いえ、この頃から“バカにされる”のに耐えられない性格だったのでしょう。
幼稚園時代
特定の友達がいませんでした。誰かと遊ぶことはあっても、特定の子ではありませんでした。
“友達”という存在は知っていましたが、一人で平気でした。
年長の頃、1人だけ近くの席の子と仲良くなりました。いつも一緒に遊ぶわけではなかったけど、唯一友達らしく話せる子でした。
思い返すと
母には友達がいたけれど、父には友達がいませんでした。
母が友達を自宅に呼ぶと、いつも父は不機嫌になったそうです。だから、私は母が楽しそうに友達と話すのを見たのは人生の中で2回くらいです。
近所に同の近い遊び相手はいたけれど、母はいつもその親たちの悪口を言っていました。
私は幼い頃から、他者との友好な関係というものを知らず、当然その方法も知らず育ちました。社会性が育ったのは、高校生になってから。その時できた本当の意味で「友人」と呼べる存在に出会って、教えてもらいました。