お別れ会
当時、引っ越す子がいると、クラスでお別れ会をしていた。高度成長期だったからか、学期が変わる節目にクラスで1〜3人くらい引っ越していく子がいた。工場の多い都市部だったからかもしれない。
羨ましい気持ち
お別れ会が始まると、引っ越す子が前に出て、クラスメイトがプレゼントを渡していた。折り紙やらビーズで作った何かとか、子供のお小遣いで用意できる物が大半だったが、中には素敵な贈り物もあったりして、私は羨ましかった
引っ越していく子達はきっと寂しかったと思う
けど私は、新しい環境で1からやり直せる事、プレゼントをもらい、惜しまれながら旅立てる事がとても羨ましかった
新しい環境なら私だっていじめられない生活を送れるかもしれない。本気で思った
けど、父の仕事は小さな町工場での物作り。従業員=社長という個人経営者。引っ越しなんてあり得ない
まぁ、私の事だから、実際に送られる側に立ったら「しぶしぶなんだろうな」って、しらけた気持ちでいたのだろうけれど(ー ー;)
いじけた子供
そう、いわゆる私はイジケ虫だった
この頃(小3)にはすでにニヒリストもどきでペシミストもどきだった。
世界は「私だけ」がいらない、「私だけ」に冷たくできている。特に理由なんてない。「私である」で、十分理由になっている
本気でそう思っていた。そう思わないと、生きていけなかった。
“どうせ私なんか…”が、生きていくための呪文。斜に構えて、自分自身を見下す事で殻を作って生きていた。
きっとチャンスはいくらでも作れたのに、自分から切り捨てていた
あの時ひょっとしたら、私がいなくなったら、ちゃんと悲しんでくれた子がいたかもしれない。近所にいた幼じみの子とか。
けど、私に対する全ての温かな感情を、私は信じることができなかった。それは親に対しても。
だから、本当に羨ましかった。私も惜しまれて引っ越しして行きたかった