前回からの続きです
https://hamuputa.hatenablog.com/entry/2024/08/02/224853
結局なにを考えているかというと
愛着と信頼関係について、ずっと考えていたんです
詰まるところ、カウンセラーさんに指摘された『放課後デイに来る子供達を職員である私が膝に乗せる(密着する)ことはしてはいけない』
件について、まだ考えているわけです
指摘されてからやめました
「嫌」って「えーっ」って言われたけど、逆に「ごめん」なんていうこもいたけれど、決めたんだって伝えました
で
今更、ここに至って
カウンセラーさんとの信頼関係の意義を考えてしまいました
20年以上経って、今更ですが笑
私はカウンセラーさんをプロとして信頼しています
私のためを思って、私のためになるように、カウンセリングしてきてくれていることは疑いません
けど、私は?
私は、カウンセラーさんが怖いです
ずっと昔から、今でも
ダメ人間だと、どうしようもない人間だと、思われてるって感じ続けています
だから、今でもカッコつけちゃうんだと思います
怒られそうなことは無意識に言わないようにしちゃってます
それすらも、見透かされてますが汗
「教科書的な返事になってる」なんて言われてしまいます汗
今回の『私の“放課後デイ”に通所してる子供との関わり方』問題
前回注意されて、私なりに反省して、子供達に私なりの説明をして、接触を減らしつつ変わらず療育を行っている現状
限られた時間のカウンセリングの中で、他の事も話した方が良いのかな?なんて思うこともあって、前回からのこともふくめ色々話をしたんだけど…
ちょっと話題変わりますが
私は、自分よりも我が子の方が大事なので、どれだけきついことを言われても、『我が子のためになる』と、思って頑張って通ってきました
実際、カウンセラーさんの言葉はとても参考になり、気づきがあり、正解で、そのおかげで我が子たちは社会に適応して生きていける子に育っています
ホントにありがたい事です
ただ、いまさら
ホントに今更なんですが…
『信頼関係』と『信じる事』…と、言うのかな?
頭では相手のことが正しいと思っていても、だからと言って
“安心できる存在”と感じれない場合、どこまで“自分のためを思って言ってくれていると感じれるのか”
“自分をさらけ出せれるのか”
って、考えてしまって…
上手く言えない
ホント、自分、賢くないなぁ涙
なんて言えば良いのだろう?
たとえ、相手は私に真摯に向き合ってくれていると感じれていたとしても、だからと言って、相手が私を100%受け止めてくれる、私に攻撃的にならないっていう安心感がわたしの側にない限り、私は自分をさらけ出すことはできない…というのかな
つまり、いつまで経っても“素の自分”を出さないから、治療は遅々として進まない
なーんて、思ってしまったわけで
つまるところ、子供達の信頼を得るためにどう接すれば良いのか?どこまでなら甘えを受け入れて良いのか?
信頼のない大人の言うことは子供達は聞いてくれないからさ
また、訳のわからない文章ですね泣
なんというか
相手が自分のことを100%受け入れてくれない、と、感じている以上、その相手に自分のダメなところ、素の自分を曝け出すことができるのか
なんて、考えてしまっているのです
またまた続きます汗