脳内の忙しさ
例えば昨日
長女ちゃん、初めての英会話
道を間違うといけないから、念のためついて行った
体験の時に一度行ってるから2度目
「もう日が長くなってきたから、暗くはないけれど、帰りは1人で大丈夫?」
「空手の帰りと同じ道だし、わかるから大丈夫」
小6女子。終わるのは18時。もう日は長く、十分明るい。
日が落ちるのが早くなったら、お迎えはいるけれど、それまではいいか。
そう思い、帰宅
で、18時10分
そろそろかな?
18時15分
あれ?遅くない?何かあった?
18時20分
外を見るがいない。どうしよう?探しに行く?
18時25分
やっぱり迎えに行けばよかった。道に迷った?事故?誘拐?いやいや、もう少し待とう。30分になったら探しに行こう
18時28分
帰宅😭
おしゃべりしてた😊
体験で女の子が1人来たらしく、長女ちゃんと先生のマンツーマンが、1対2になったんだって。年下だけど陽キャ女子で、めっちゃ気が合ったって。で、授業終わっても10分くらい喋ってたんだって😅
力が抜けた😭
不幸妄想
車の運転中、つい、急ハンドルを切って事故った自分を、妄想してしまいます
自転車乗ってると、車が飛び出してきてはねられる自分、もしくは我が子、なんてのも😱
布団を干してる時、布団が落ちて自分も引きずられて落ちる姿…とかね(7階)
子供が布団干すのは、ホントやめてって思う
子供や夫の帰りが遅いと、事故にあったとか、急病になったとか、それこそどっかで死んでるのでは?!とか、とてもリアルに😖
夫に「連絡ないと死んだって思うの?」と聞かれたことがある。
もちろんyes
長男君なんて、時間忘れる子だったから、何回探しに行った事か💧(物を無くす子なので携帯は持たせず)
近くの川沿いをチャリで走りながら、落ちてないか確認したこと数回
そこまで心配する?!ってくらい
時間が経てば経つほど妄想は膨らんで、いてもたってもいられなくなる😖
“不幸妄想”
ホントに些細なことすら
自転車でちょっとの段差を上がろうとした時に
スリップしてコケル自分とか
自分の痛い妄想ならまだ良いけど、子供が事故る妄想とか、ホント勘弁してって思うんだけどね
頭の中で、一体私は何回、人に怪我をさせ、人を死なせ、自分にも怪我をさせ、自分も死なせてきただろうか
幸せの中で生きれない
不幸の中にいて、ようやく安堵?する
ここが私の居場所だと
幼い頃からの呪い
不幸の中しか、自分の居場所はない
だから、幸せの中、不幸を妄想し、なんとかバランスを取ろうとする
しんどいなぁ😖
けどさぁ、仕方ないじゃん
何もしてないのに、突然消しゴム飛んできたり、公然と罵られたり
家でだって、小バカにされて笑われて
何故か嫉妬され、羨ましがられ、搾取される
説明もなく2度も母は居なくなるし(しかも“発作”を起こす母を見てしまっているし)
(このあたりの事情はこちらで↓)
幸せの居心地の悪さ
ストレス下での生活が当たり前だったから、幸せな今が居心地が悪くて仕方ない
いや、人並みに嫌な事、困りごと、大変なことはありますよ😅
それこそ、夫君との関係、仕事での嫌なこと、長男君の反抗期、嫁姑関係、エトセトラ
ただ、上記のことを『不幸』と言うかと言われたら…愚痴を言って取り敢えずやり過ごせるレベルの訳で
客観的に見て“普通”だと思う
けど、その“普通”が、はむぷたにとっては“あり得ないレベルの幸せ”な訳で
だって、日常の中に、はむぷたに好意(友情とか親愛、信頼)を持ってる人がいるんですよ😳
今この瞬間、私が死んだら、本気で私の存在の喪失を嘆いてくれるだろう人がいる
もう、これは事件な訳で
そう、事件の中、今生きている訳で
そりゃ疲れるさ
頭の中で不幸を妄想しないと、どうして良いのか分からなくなる…って、事なんだろう
けど、この“不幸妄想”、妄想だから害がないってモノでもなく
ホント、しんどいんです😓
存在を否定される中で生きているのが当たり前だったから、
いざ、存在を肯定される中で生きていると
これがずっと続く訳がない
理由もなく虐められたではないか
ある日突然母は居なくなったではないか
何度願っても、努力しても、自分の力ではどうにもならなかったではないか
まぁ、高校入って、いじめが無くなって、初めて“友達”できて、そこから少しずつ好転していくんだけど
ただ、スライドするように摂食障害がやってくる訳で
まぁ、なるべくしてなったんだけどね
体はひたすら丈夫だから、心の方が病んだだけのこと
というか、“生きるのに必死”だったのが、“必死で無くても大丈夫”になったから、ようやく“心が病めるようになった”というだけのことで。
いつになったら、幸せであっていいって思えるようになる?
いつになったら罰を恐れなくなる?
死ぬまでずっと
うん、覚悟してるさ🤣