AC はむぷた日記

機能不全家族サバイバー はむぷたが大人になって思う事

Kそん

そんな中学でのいじめられっ子生活の中でも、小学校の時とは違って“学年全員が知る”ほどの有名人ではなかった

やはり、2つの小学校が合わさって、1学年のクラス数が増えたからなんだろう

多分2年の時だと思う

新しいクラスになって、なけなしの勇気を払って、私のことを知らない子に話しかけた

 

この頃の記憶は曖昧で、ひょっとしたら時系列がバラバラ、時期の勘違い、別だと思ってた子が同一人物とか、話がこんがらがってるかもしれない

とにかく、心を殺して、何も感じないように生きてたから、本当に何も覚えてない

そんな中の僅かな記憶を頼りに書き記しています

 

で、話は元に戻り

名前、今でも覚えてる

Kさん

最初は普通におしゃべりした

お弁当も一緒に食べたかもしれない

けど、すぐに私がいじめられっ子だとバレた

いつも通り、私から離れた

私といると、彼女がいじめられると思ったから、自分から身をひいた

 

ある時、彼女と話す機会があった

話の内容は覚えていない

ただ

「誰だって自分が可愛い」

「はむぷたと一緒にいたら私までいじめられるじゃん」

「そんなこと当たり前じゃん。わからんの?」

あざけるように言われて、ひどくショックだったのを今でもはっきり覚えている

 

私と真逆の考え方だった

綺麗事だけど、私は自分がひどい目にあっても大事な存在は守りたいと今でも思う

大切なものを守るためなら、嫌われ役、汚れ役、そのくらいやってやる

けど、Kさんは自分が1番可愛い人だった

 

ボッチだった私は本の中で生きていた

今で言うラノベのハシリ

“大河ロマン”“ファンタジー”“SF”といったジャンルの本を読み漁っていた

本の世界はとても綺麗で、友人や仲間は硬い友情で結ばれていた

ミステリーも好きだったし、そんな話も知ってはいたけど

 

大人になった今、Kさんの考え方はとてもよくわかる

ただ、馬鹿な私は一度でも“良い人”と思ってしまうと切り替えができなくて

決して付きまとったり、話しかけたりしたわけではなかったと思うんだけど、ひょっとしたら、藁にもすがる思いで頼ってしまったことがあったのだろうか?

 

子供の視野は狭い

今の私があの頃のことを俯瞰的に見ることができたなら、どう思うんだろう

 

恥ずかしくて居た堪れなくなるんだろうな

 

エスケープ

はっきりと自覚したわけではないけれど

漠然と

『学校に行かなければ見捨てられる』

と、強く感じました

 

小学校までは男子にいじめを受けてきたけれど

中学に入ったら女子からいじめられました

不思議と、男子にいじめられなくなりました

びっくりするくらいパッタリと

 

小学生と中学生

だった1カ月ほどの間に何が変わったのだろう?

あからさまないじめはなくなり、女子独特の陰湿なイジメになりました

 

陰口、仲間はずれ、落書き、くすくす笑い

なぜ聞こえるように悪口を言うんだろう?

大人になった今でも、何が楽しいのかさっぱり分からない

ただ、そう言う女子が多い、もしくは目立つから多く見える

 

思春期だからか、正確的なものなのか

中学に入ってからの女子から受ける仕打ちの方が、ダメージは大きかったんだと思う

小学生の時もズル休みはした

こっそり体温計を温めて仮病を使ったこと数回

中学の頃はグッと増えて、グループを作らなければならない授業のある日はほぼズル休みするようになった

運動会や球技大会よりも、実験とか家庭科の料理とか、そっちの方が地味に辛かった

自室の押し入れの上の天袋に、懐中電灯と本を持ち込んで学校を休んだ

…なんでバレなかったんだろう?

無断欠席だから、どうしました?って学校から電話あってもよさそうなのに

学校からも見捨てられてたのか

厄介な奴が休んでラッキーって思われてたのか

 

しっかし、ズル休みの逃げ場が天袋って笑っちゃうな

クソ真面目と言うか

されてないと言うか

学校ではないところに行くって発想がなかったんだなぁ

 

お小遣い少なかったし

ケチだったし

燻った気持ちを外に出すよりは、内にこもってやり過ごす方が楽だった

 

たった一度、トイレに行こうと天袋から降りた時

手が滑って落ちて大きな音が出たことがある

トイレにいるときに、1階の工場にいた父が上に上がってきて、バレるんじゃないかとドキドキした

あの時、トイレを開けられたら終わってたな

 

むしろ、バレた方が良かったのかな

何かが変わっただろうか

…ね

体裁

とにかく、両親は体裁を整えた訳です

我が子が学校でいじめにあった

学校へもう行かないと宣言した

だから学校へ行って先生たちに話をした

先生たちは、いじめを無くすと約束をした

以上、親の責任は果たした

終わり

 

あかん

こんな年になっても、思い出すと悲しくなる

ハリーポッターを今頃読み始めたからかな😅

ハリーの置かれてる状況と、昔の自分を重ねてしまう

ハリーはいいな

才能がある

親友がいる

頼れる大人がいる

育った家庭は最悪でも、受け入れてくれる場所と人がいる

それでも、蔑まれたり、笑われたり、理不尽な仕打ちを受けたり、嫌がられたり、避けられたり…

描写がリアルで色々思い出してしまう

 

願い叶わず、翌日も登校

何か変わった?

何も。

今まで通りのボッチ生活

ずーっと授業中だったらいいのに

時間が過ぎるのを待つだけの放課

弁当を隠しながら1人教室で食べる

周りの子達はとても楽しそうにおしゃべりしてるのに

居心地の悪さ

ここには私の居場所はない

周りから私はどうな風に見えていたのか

自意識過剰。人の目が気になって仕方なくて

今思えば、どっか人のいないところで食べれなかったのかな

教室で食べなきゃ行けないルールでもあったのだろうか?

 

辛くて辛くて辛くて辛くて

 

やっぱり無理って思って再度言った

「学校に行きたくない」

 

そんなのはお前のわがままだ!

大概にしろ!

 

大声で父親に怒鳴られた

 

この時、私は父親を諦めたんだと思う

じゃがいもとグチ

一昨日、夫君は会社の人から頂いたと、ジャガイモを持って帰宅しました

同じ日に、私もママ友からジャガイモを頂きました

今日、肉じゃがを作りました

帰宅して食べ出した夫君は会社の人からもらったものなのか聞きました

私は家事と仕事がひと段落して、本を読みながらやっとゆっくりしてる時でした

読書を中断されるのはホント嫌です

常々、夫君には伝えてあります

けど彼は、自分が邪魔されるのは嫌いな上、待つことも嫌いなんです

人の都合なんて気にする人ではありません

自分の都合が全てに優先するので、彼の質問には皆がすぐ答えるべきと思っているのでしょう

問い詰めると否定しますが

無自覚なんですね

 

で、なぜそんなことを聞くのかと質問返し

もらった人に感想を言わなきゃいけないとの返答

正直、家事育児仕事と、毎日私だって目まぐるしく働いている

どのジャガイモが誰からの頂き物なのかなんて、いちいち考えて料理なんてしていない

そりゃ、きたあかりか、メインクイーンか、男爵か

品種が全く違ってたら「これはね…」と、質問にも答えられたけど、どっちも男爵

 

確実に貰った芋の感想が必要なら、なぜ最初に言わないのか

言われていたら私だって意識して調理した

それに

そこは普通に「美味しかったよ」で済ませてもいいんじゃないの?

もし不味かったとして、イマイチだったと馬鹿正直に言うのか?言わんだろ?

 

そこまでこだわるなら自分で作れよって思う

 

ただ作るだけが料理ではない

予算、日持ち、在庫管理、家族の好み、弁当と被らないように、時間かけれる日と短時間で作らなければならない日の調整、天気の確認、今までと今後のメニューとか

毎日常に何を作ればいいか考えてる

これを使うとこれとこれが余るから…とか。いついつまでに、消費しなければならないとか

コロナでの隔離期間、私は料理のことに関する諸々を把握して考えるのが1番疲れることなのだと気がついた

そう、料理はただ作るだけのことではない

だから突然「外食しよう」と、「楽できるでしょ?」と、ドヤ顔で夫に言われると腹が立つんだ

いやいや、じゃ、使わなかった食材をいつ使うか考えなきゃいけないんだよね。その日からの後の予定が狂う

結果、もやしとかうどんとか、破棄する羽目になったりする

 

料理が好きならもっと上手くやれるんだろうけれど

“今日はこれは食べたくない”ってのがなければいいんだけれど

わりと、気分によって食べたくないものがあったりするので、どうしてもフードロス発生する

ごくごく稀だけど

基本、捨てるの嫌いなので、ない知恵を絞ってなんとか消費するけれど

 

自分だけが食べるわけではない

好みの違う家族の料理を1カ月も“当然”として作り続けたら、きっとわかること

人の仕事にケチつけるなんて失礼だと思うんだけど

だから、夫は家事育児を“給料をいただける仕事と対等”とは思ってないって証拠な訳で

 

今日料理したじゃがいもが誰からの頂き物か、なんてわからない

だから“じゃ、もらったヤツって事にして”と正直に返したらムッとして不機嫌オーラを撒き散らされた

はいはい

私が全て悪いんですね

だから優しくなれないんだよ

ほんと、人を責めるばかりで自分に至らない部分があったかどうかなんて考えもしない

 

なんて傲慢なんだろう

昔はこんな事なかったのにな

金○先生

記憶は改竄されるもの

人によって過去は変わる

だから、私が覚えている過去は正確ではない

それを分かった上での描写です

 

なんでこうなったのか

私は全くわかりませんでした

とにかく、父親に学校へ行くと告げられて

父と母との3人で学校へと行きました

多分、車だったと思います

 

NOと言えない原家族でした

それまで私は、拒絶したことはなかったんだと思います

だけら、はじめての拒絶

NOが許されないと知ってての始めての拒絶

全身での一切譲らないとの意思表示が、あの父にすら伝わったんでしょう

父親からすると、私は実力行使に出ると思ったのでしょう

決して、私の事を考えての「学校訪問」ではなかったんです

幼くとも、反抗期でも、そのくらいのことは伝わります

 

初めから、誰も私の気持ちに寄り添ってくれる人なんかいなかった

そこに集まった人たちは“学校に行く前提”だった

要は“学校に行きたくない”私を説得するための場

先生方は“誠意”を、見せてくれたんだと思います

うろ覚えだけど、私が学校へ通えるように全力でサポートします的な姿勢を示してくれたのを記憶しています

 

もちろん、その想いを否定はしません

本気でなんとかしようと思ってくれてたんだと思います

 

いじめの初期なら良かったんでしょう

けど、私が置かれた状況は末期で、卒業までのカウントダウンをするしか無いとこまで来てたんです

 

だから、まぁ、そこまで私も頑張ったんです

打ち解けるよう、恥も外聞も捨てて、がむしゃらに頑張ったんです

目一杯考えて、私なりに努力したんです

考えられる方法と、なけなしの勇気を振り絞って話しかけたりしたんです

 

先生たちの努力でどうにかなる時期は、とうの昔に過ぎてたんです

あからさまないじめがなくなるだけで、陰口とか、無視とか、仲間はずれとか、無くなるわけないんです

1からの友人関係が築ける時期は過ぎてました

だから、絶望したんです

 

入学式から数ヶ月たってたら、すでに女子グループは出来上がってるんです

今更誰がいじめられっ子の私をグループに入れようと思うのだろう?

そんなババ、誰も引きたくない

そのくらい、私だって分かってる

そう、分かってしまったから、もう無理だと思って、勇気を出して学校に行きたくないと言ったのに…

 

帰りの車の中で母はひたすら

「いい先生ばかりだった」「感動したわぁ」「とても親身になってくれたし頑張ってくれる」「まるで金○先生だわ」

饒舌に、陶酔しているようなうわ言を言い続けていました

運動会

少し話は遡って…

運動会、大嫌いでした

 

実は今日、長女ちゃんの運動会でした

長女ちゃんの運動的能力は平均

社交性はかなり高め

一番手ではないけれど、二番手グループ辺り?

私とは全く違う小学生時代を送っております

 

今年度の運動会も、コロナ禍のため入れ替わり制

3.4年→1.2年→5.6年での開催

マンモス校なので、撮影する親からはありがたい部分はあるけれど、いまいち盛り上がりには欠けますね😅

しかも種目は2個だけ(かけっことダンス)で、コロナ禍前の1番盛り上がる騎馬戦は今年度もなし

学ラン着ての応援合戦もなし

 

まぁ、それは置いといて…

 

長女ちゃん、楽しそうでした

かけっこも必死

ダンスもキレッキレ

待機中もクラスメイトと仲良くおしゃべり

ザ、普通

泣けてくるくらい楽しそうでした

 

羨ましい…

 

いえいえ

親としてはホントに嬉しいんですよ

ほんとのほんと。正直な気持ちです

けどさ。同時に“いいなぁ…”ってね

 

ガチな話

50m走、13秒台だったんですよ

1人だけ、ドン遅だったんです

かけっこ、5〜6mは余裕で後ろ走ってたんです

今はいいですよね

…いいのか?

とにかく、運動能力テストで事前にタイムを知って、それからの組み分け

私の小学校時代は、当然そんな配慮はなく😅

 

自分でも、走ってて情けなくて。居た堪れなくて、結果、ヘラヘラ笑って走ってた

 

もちろん、本気で必死で走ってたんですよ

けど、自分でも笑うしかないくらい差がつけられ

1番の子がゴールしてからの、長いこと長いこと

周りの呆れた反応が視界に入って

惨めすぎて笑うしかなかったのに、ヘラヘラ笑うなと親には怒られて

 

素直に悔しがれる我が子が羨ましいです。ホント

私は悔しい以前の問題だった

持って生まれた性質のせいなのか

外遊び全くしてこなかった、後天的な要因なのか

まぁ、おデブだったので、物理的要因が1番だったのは間違い無いですが

 

運動会が楽しいって、どんな気持ちなんだろう?

かけっこ、緊張するってどんな気持ちなんだろう

1番になれるかドキドキするってどんな気持ちなんだろう

負けて悔しいって、どんな気持ちなんだろう

etc、etc…

 

私はただ、その日一日が過ぎるのを無になってやり過ごすだけだった

 

私が経験したくてもできなかった幼少期を、我が子が過ごせるのはホントに嬉しい

帰宅して、大興奮しながら色々話してくれました

 

親としては嬉しいです

けど、自分の幼少期を振り返ると、悲しくて仕方がないです

限界

多分、一年生の時だったと思います

…2年生?

よく覚えてないなぁ

何も感じないように生きていたので、この頃の記憶は曖昧です

 

とにかく、プッツリと糸が切れたんです

もう無理って、ホントに思ったんです

 

バレバレだった、私的には親にひた隠しにしてた「虐められてる事実」をとうとう親にぶちまけました

学校に行きたくない

とにかく、全力で全拒否しました

 

もう、いっぱい×2だったんです

中学生になったら…

最後の希望が潰えて

僅かな未来への希望でなんとか学校に行けていたのに結局無理だった

私なりに努力した

勇気出して話しかけた

相手も私に対して好意を抱いてくれた

けど、ダメだった

“いじめられっ子”のレッテルは中学生になっても効力は無くならなかった

あっという間にクラス全員の知るところとなった

やはり、私は虐められる生活から逃れられなかった

 

恥も外聞も捨てて、勇気をかき集めて、全力で学校行きたくないと親に伝えた

 

その日のうちに親は学校にアポを取った

真っ暗な中、私は校長室?らしき場所に両親に連れられて行った

 

そこには多分、校長と教頭と担任と学年主任と…

よく覚えてないけど何人かの先生がいた

中学生になったら

私の通った中学は、2つの小学校の学区からできてました

小学校を卒業した時、一縷の望みを抱いてました

自分を知らない人もいる

もう一個の小学校の人は私がいじめられっ子だと言うことを知らない

頑張ったら、中学ではいじめられないかもしれない

頑張って友達を作ろう

 

気合い入ってました

勇気を出して後ろの席の子に話しかけました

ニコニコと嬉しそうに会話してくれました

友達になれたと思いました

もう1人、前の子とも話すようになりました

家電を教え合いました

友達になれたと思いました

 

1週間くらいでまたボッチになりました

悪い噂はあっという間に広がります

私がいじめられっ子だと、気がついたらクラス全員が知ってました

デブ ブタ ネクラ バイキン

私を見てくすくす笑い

 

後ろの席の子は

「悪い子じゃないよ」

かばってくれました

いい子でした

私といると、その子もいじめられると思いました

 

結局、自分から離れました

申し訳なさそうな目で、その子は私を見ました

 

1人で過ごすのは慣れてました

元に戻っただけ

今度こそ

と、頑張ったけど

結局ダメだった

 

自分から身を引かなければ、ひょっとして違ったのかな?

友達で居続けれたのかな?

あの時、どうするのが正解だったんだろう?

今でもわからない

ただ、自分の殻に閉じこもる方が簡単だった

苦しいけど、辛いけど、惨めだけど、でも慣れてたから

 

それから3年間、私は1人で弁当を食べ続けることになった

学校に行きたくない気持ち

私の周りには登校拒否を受け入れている親、学校を辞めることを受け入れている親が何人かいる

高校を辞めて通信に切り替えた子もいる

私の周りで5人

実感として、多いなって思う

 

子供が登校拒否する事。学校を辞めること。通信に切り替えること。

子供自身、沢山悩んで苦しんで出した答え

それを受け入れるまで、親も悩んで心配したと思う

 

子供が笑ってくれてるのが1番

ホント、そうだよね

 

そんなお母さんたちは

「私の頃は嫌でも学校行けって感じだったけどさ」

って口を揃えて言う

ホント、そうだった

 

“行くのが当たり前”

そんな時代

今の子達はいいな

選択肢が沢山ある

情報も手に入る

ダメなら次。別の選択肢を選ぶことが出来る

 

けど、私の場合は“時代”だけでなく“あの親だったから”無理矢理でも行くしかなかったんだよな

 

ひょっとして、今みたいに“行かない選択肢”のハードルが低かったら、私は学校に行かなくてもよかったのだろうか?

「ほっとけ」

言われて、ホントにあの家に平日居れたのかな

 

辛かった。苦しかった。惨めだった。逃げ出したかった。

何も感じないように生きてきたから、何も覚えてない

人間、怒りや悲しみに蓋をすると、喜びや楽しさも記憶に残らないんだよね😅

 

ただ、

アレよりも悪いことなんてない。

アレよりも苦しいことなんかない。

そう思って乗り越えられたことがあるのは事実

あの過去があるから、今の自分がある

もし、逃げ出すことが許されてたら。親が気持ちを受け止めて癒してくれてたら…

今の私はなかったのかもしれない

今ほど、強く生きられてなかったかもしれない

 

けど、それでも

あんな過去は無かった方がよかった

少なくとも、カウンセリングや眠剤のお世話にはなる必要はなかっただろう

食べ物やお酒ともっと上手に付き合えただろう

未だに依存症に振り回されてる

 

子供たちを見てると、生きるのが上手だなぁって感心する

あの親でなければ…

考えても仕方ないんだけどね

不登校や退学を受け止めてくれたお母さんの子供が羨ましい

ご飯が美味しい

隔離期間が終わり、夜ご飯食べた子供達の一言

そっか、宅配の弁当より、私の料理はうまいのか😳

本気でビックリ

私は弁当の方が美味しく感じたので😓

 

作ってる段階で味がわかってしまうので、“あぁ、この味かぁ”って2度も味わってる感じがすると言うか

“あぁ、これこれ”じゃなく“またこれか”っていう残念感?

うまく言えないんだけど…

自分で作る料理は何作っても“同じ”に感じてしまうんだよね

カレーも麻婆豆腐も生姜焼きも同じに感じる

ちゃんと調味料も作り方も違うのに、不思議と“自分の味”

多分、飽きたんだろうな😅

 

だから、例えお弁当でもファミレスでも、美味しく感じるんだよね

レトルトやコンビニ弁当とかは何だか“独特の味”を感じるので苦手なんだけど

“他人が作ったもの”は、なんでも美味しく感じる

 

自分が子供の頃は、母親が作った料理を毎日食べても“飽き”はしなかった

後半、母の作るものはどんどん酷いものになったけど

そっか、多分、私が大学で外に出るまではまだマシだったんだ

私が結婚する頃にはすでに毎食お惣菜だったみたいだし

母が亡くなった時、冷蔵庫の中身のほとんどは傷んでて捨てるしかなかった

 

母の作る料理は“義務感”“やるのが当たり前”と言うもので、決して“美味しいものを食べさせたいから”と言う理由ではなかった

母が台所に立つ姿は本当に“嫌々”で

もちろん、私だって料理嫌いだし、面倒ではあるけれど。だから、母親の気持ちはわからないではないけれど

でも、少なくとも“あなたのために”と、押し付けがましくはない。うん、これは断言できる

 

“やっぱりこっちの方がうまいわ”

素直に出た言葉を聞いて、嬉しいよりも驚きが勝った

いや、嬉しいんだけどね

なんか、「母の料理」=「美味しい」が、結びつきにくいと言うか、違和感というか

 

我ながら歪んでいるなぁ

幼少期の体験から、どうしても料理は好きになれないけれど。それでも“美味しい”って子供(ついでに夫君)が言ってくれる料理を作れてるってことは、少しなマシな“親”出来てるって思っても良いのかな

 

だって“料理は親の愛情”なんでしょ?

あ、手作りかどうかを言ってるんじゃないですよ

子供の事を考えて、料理を提供してるのか、義務感とか自己満足からなのか、その違いを言いたいんです

 

そう、あの母の料理でも美味しい時はあった

けど、それ以上に“不味い”時の方が多かった

ほとんどは“美味しくも不味くもない料理”だったけど

 

時々“美味しいの作ってやってよ”と夫君に言われる

それがとても重い

悪気のない言葉なのはわかるけど

 

ご飯が美味しいってなんだろ?

ご飯を美味しく感じないってなんだろ?

 

子供の頃、確かに母親の料理をおいしく思った記憶はあるのに、なのに“楽しい記憶”“嬉しい記憶”ではないんだよね

 

ただ単に、楽しい食事ではなかったって事なのかな

給食も苦痛なだけだったもんな